2021年9月4日に行われた『しっぽな落語会』を見に行ったので、その感想を書いて行こうかなと。
そういえば、1年以上行ってなかったな…
全体を振り返って
内容が濃く、見応え十分だった。
ひとつひとつの噺が聴き応えあったし、演目の世界に惹き込まれた。
それに加え、TNSK先生から『しっぽな』に関する貴重な話を聞けたのもポイント高い。
ちなみに、演目は以下の通り。
表にするとこんな感じ。
出演者 | 演目 | 登場回 |
---|---|---|
TNSK・生喬・天使 | オープニングトーク | 単行本未収録 |
柴 | 看板の一 | 21話(5巻) |
生喬 | 遊山船 | 1話(1巻) |
生喬・柴・三扇 | 住よし踊 | 6話(2巻) |
三扇 | 引き出物 | 単行本未収録 |
八方 | 崇徳院 | 2話(1巻) |
こうして見ると、原作をリスペクとした構成になっていますね。
ひとつひとつの話を振り返ってみると、
- 看板の一:しららが新人演芸大会に出場する決意をした回
- 遊山船:まめだが初めて見た演目
- 住よし踊:まめだが初めて高座に上がった回
- 崇徳院:まめだが文狐師匠に弟子入りした回
と話のターニングポイントになった時に登場した演目がピックアップされている印象が強いです。
『しっぽな落語会』と原作を振り返ってみると、こう熱いなと感じさせてくれるところもポイント高い部分かなと。どの噺家さんも力があって、只々凄いの一言に尽きる…
上手いこと言えるわけではないけど、人を惹きつける何かがある。ちなみに、崇徳院の時、百人一首の話が出たけど、自分は崇徳院と聞くと、怨霊伝説の印象が強いですね。ひとつひとつの動作や目の力が噺に厚みを与えていると言えば良いのか分からないけど、噺をより魅力的なものにしていたと思う。
笑福亭生喬氏のとある話が印象的だった
生喬氏が歌緑師匠の話を出していた時、分からなくもないと感じた。
原作では、歌緑師匠がまめだに君が面白くては意味がないと言ったシーンがあった。
これは、上方落語に限らず、全てのジャンルに共通して言えることじゃないかなと。
歌緑師匠の話を生喬氏が実体験を交えて話を聞いていて、確かにと心の中でうなずいていた。
漫画だったら、作家が面白くても漫画が面白くなければといったところだろう。
ゲームだと、シナリオライターやイラストレーターがすごくても、シナリオやゲーム性が面白くないと本末転倒的な。
昨今、何をしたかよりも誰が言ったか・誰がやったかという点は重視されるけど、何をしたかも同じくらい重要だと思う。
『しっぽな』でも文狐師匠を目当てに訪れる観客も大勢いたのを考えると、文狐師匠の噺ではなく、文狐師匠を見に来た観客も多いのかもしれない。
自分を出すのは重要だけど、出すところを間違えてはいけない、そう解釈している。
いかに作品・コンテンツを発信していくか・より魅力的なものにしていくというのは口で言うのは簡単だけど、想像している以上に難しい。
露の柴氏の噺を聞いて
露の柴氏が噺の世界に入り込むといった話をしていたけど、『しっぽな』に出てくるキャラクター達も噺を聞いて、その世界観に惹き込まれていたのを思い出す。
作品の世界に入り込むという点は、上方落語に限った話ではない気がする。
作品に触れていると、喜怒哀楽と感情を動かされることが何度もある。
上方落語もそのひとつだ。
感情に訴えかけるため、噺の世界に惹き込むために語りはもちろん、ひとつひとつの動作や目の動き、客席を見る力とかも鍛えているのではないかと感じた。
太鼓とか全てやるのは、人手云々よりも太鼓を叩く時に一体どのような風景が見えるかが重要なのかなと。
噺を披露する時に見える風景・客席から見える風景・裏から見る風景は微妙に違うような。
いろいろな風景を見ているからこそ、観客達を噺の世界に惹き込むことができるのだと思う。
『しっぽな落語会』の後、噺の世界により入り込むためには、演目についてもっと知っておいた方が良いなと感じた自分がここにいる。
最後に
久々の寄席、しかも1年前にできなかった『しっぽな落語会』に行けたのは単純に幸せなことだと思う。
どの落語家さんも噺を魅力的なものにしていたし、TNSK先生から貴重な話をいろいろ聞けたのも大きい。
こういった機会は、大事にしていきたいですね。
ちなみに、百人一首の大会で指を骨折した高校生が第26回高校生クイズの全国大会に出場していた…
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